日本のソフト業界の構造改革

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投稿日:2008年03月05日 作成者:yasunaka

ITPro Watcherにある田中克己さんの黒船の大砲がソフト業界に構造改革を迫るを読みました。今の日本のソフト産業がオーダーメイドによる開発ばかりで、同じようなシステムをあちこちで開発するというムダを続けてきたが、いずれ外国のソフト企業に市場を奪われたり、中国やインドのソフト企業に買収されてしまうのではないか、という話です。

確かに今の日本のソフト産業は世界的に見て、ほぼ内需だけで成り立っているという、かなり特殊な状況です。私も「黒船の大砲」がきたらひとたまりもないのではないか、と非常に危機感を覚えています。

この記事の中では自動車産業のように専門部品を作るソフト部品会社とシステムインテグレータと呼ぶシステム組み立て会社に分業化という「近代化」が必要だと説いているのですが、ちなみにこの記事に「ひがやすを」さんが噛み付いているようです。SIerが自動車産業をまねしようとするのはいい加減やめなさいによると、「ひがやすを」さんは真っ向から反論して、

–以下引用–
『SIにあてはめると、外部設計を作り続ける会社、内部設計を作り続ける会社、プログラムを作り続ける会社に分業化するってことでしょ。今と一緒ジャン。そして、インテグレータが上澄みをはねていくと。』
–ここまで–

と言っています。プログラムは「異なるもの」を製造することに意味があり、そういう観点からは同じような部品を作り続ける、というような製造業とは単純に対比できないわけで、これはこれでなるほど、です。

私はというと、上記の二人とはまた別の観点を持っています。ソフト業界の近代化というのは、ソフトウェアを「個別には作らない」方向に進むべきなのでは、ということです。オーダーメイドを減らしていくべきだ、と。前述のような議論が起きるのは、おそらく日本のソフト業界がオーダーメイドにどっぷり浸っているからで、ソフト業界はソフトウェアを作るのが仕事だ、となってしまっているからではないでしょうか?

私は、ソフト企業はこれからソフトをサービスするのが仕事、というように徐々に変わるべきではないのか?と思うのです。もちろん、真のサービスの部分は最高のものを作り上げ、改良し続けます。でもそれ以外の部分は、エンドユーザが使いやすいように組み合わせたり、ちょっとだけ手直しをするだけにして、極力個別には作らない。こうしていかないと海外の巨大なパッケージベンダーに勝てるわけがありません。

サービスする単位としては今までのパッケージという単位は当然のこととして、もっと細かい粒度でのサービスとして提供する、という方法も考えられるわけです。この世界では細かい粒度のサービスを提供する側も、けっして下請けではなく、全体のインテグレータと同等にサービスを提供する、という世界が考えられます。

ソフト企業は製造業からサービス業へ。このパラダイムシフトがないと日本のソフト産業は将来、簡単に乗っ取られてしまうのではないかと私は考えています。

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メールの未来?

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投稿日:2008年03月04日 作成者:yasunaka

CNET-JapanにEメールに関する興味深い記事が出ていました。「電子メールに未来はない」–米国のウェブ専門家らが指摘というタイトルで、Future of Web Apps(FOWA)カンファレンスで電子メールに関する議論において、出席者からメールはもはや時代遅れで、後進的で、誰もが嫌っている、という厳しい意見が相次いだ、と報告しています。

読んでみると、問題はやはり膨大な量の「スパムメール」に集約されるようです。でも一方で、記事の終わりのほうでは新興のWeb2.0系のメッセージング機能に関する不安についても触れています。

Eメールは非常にシンプルな仕組みだし、ビジネス的にも欠かせない道具だし、これだけ普及したということもあり、なかなかこれに代わるものが現れるとは私には思えないのですが、一方で既存のEメールに不満を持っているのも確かです。

というのは、送ったEメールが相手に届いているのかどうか、読んでもらえたのかどうかが怪しいと感じることが最近良くあるからです。スパム対策でフィルタリングしていることが多いと思いますが、送ったメールが誤ってフィルタリングされている場合もあるんじゃないの? と疑心暗鬼になります。またスパム扱いされていなくても、大量のメールをやり取りしていると、見落としてしまうことも多々あるように思えます。

メールというのは基本的にはプッシュ型のコミュニケーションツールです。ところがプッシュ型が有効なのは、そこに表示される情報量が少ない場合で、膨大な量の情報がプッシュされた場合には役に立ちません。膨大な量の情報に対しては、プル型、つまり自分が関心のあるデータをピックアップするモデルでないと回らないのです。

メールで日ごろやり取りされるデータが膨大だったり、スパムメールに埋もれてしまっていたりすると、プッシュ型のツールだったメールをプル型として使わざるを得なくなり、結果として伝えるべき情報が伝わらない、という現象が起きるのではないかと思います。

メールの本来もっとも重要な点は、確実にプッシュできる、ということだと思います。メールの未来は、この「どうすれば重要な情報を確実にプッシュできるか」という点に絞って進化できるかどうかにかかっているのではないでしょうか?

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迷惑メール

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投稿日:2008年02月28日 作成者:yasunaka

経済産業省が迷惑メールの広告主に対する懲役刑や罰金などの刑事罰を新設するために、特定商取引法(特商法)の改正案を提出しようとしているというニュースが流れていました。

ちなみにこの場合の「迷惑メール」の定義はなんなのでしょうか? 「改正案は、同意を得ていない送り先への広告・宣伝メールの送信を、原則として禁じる」とニュースで報じられていますが、ということは営業的なメールをやり取りする前には必ず同意を得る必要がでてくるような気がします。というのは、何をもって「広告・宣伝メール」なのかがはっきりしないためです。たとえ送り側が広告・宣伝を意図していない場合でも、事前に承認を得ていない人に対してはメールを送るのがやっぱり難しくなるのではないでしょうか?

あと気になるのは送り先に関すること。今までの迷惑メールの話は個人を対象にしていたと思いますが、対会社の場合はどうなのでしょうか? まあそんなことはないと思いますが、会社同士の商談の話をするためのメールを送れない、となるとかなりやっかいですよね。

まだ法律の中身をよく分かっていないので推測で物事を判断すべきではないのですが、この法律がどのように運用されるのかについては興味をもってみています。

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決済系のトラブル

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投稿日:2008年02月27日 作成者:yasunaka

25日に信用中央金庫で「全国信用金庫データ通信システム」(全信金システム)に障害が発生して振込などの処理ができなくなったというニュースが流れていました。翌日には復旧して未処理だった74万件の為替取引も処理されたようです。また原因は調査中とのこと。

現代の社会では決済系のシステムの障害で決済が出来なくなると、いわば経済の血流が止まった状態になります。最悪、資金繰りで問題が発生すると予期せぬ倒産が発生する可能性すらあります。

長年金融系のシステムをやってきただけに、このニュースはあまり他人事には思えません。決済系のシステムは担当したことはないのですが、日中リアルタイムに動いていたり、その時点で必ず稼動しなければならないシステムを担当していると、そのプレッシャーは大変なものです。

対応に追われている現場の人は大変なことでしょう。がんばってください。

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FlashとJava Applet

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投稿日:2008年02月21日 作成者:yasunaka

昨日は時間がとれず、ブログが書けませんでした。

今日のタイトルはFlashとJava Applet。昨日Yahoo!メールがFlashベースのインターフェースに切り替え、高速に動作できるようにするというニュースが流れていました。何でもAjaxよりも動作が速いのが売りだとか。ちなみに私はFlashなのに右クリックでコンテキストメニューが表示されるということにびっくりしました。そんなことできるんですね。これなら通常のアプリケーションのUIそのものが実現できますね。

これを見ていてふと思ったのが、そういえばなぜJava AppletはFlashにはなれなかったのだろう、ということ。WebでのJava Appletは当初、起動の遅さが嫌気され、あまり使われなくなったといういきさつがありますが、なぜFlashはあんなにも早く立ち上がり、Java Appletは遅いのか? そんなに本質的に違うのだろうか? 本当はやればできたんじゃないの?と勘ぐってしまいます。

そして最終的にはアプローチの違いがここまで大きな差になったのだろうと思います。Flashは当初はぱらぱら漫画的な使い方がメインだったと思います。そこにちょっとアクションが定義できる、という感じ。デザインの工程がほとんどでプログラミングがあまり重要ではなかった、というのが、ボトムアップ的に火をつけることができた要因ではないでしょうか?

一方のJava Appletはプログラミングありき。これはトップダウン的なアプローチであり、敷居が高いです。Javaはそもそもプログラミング言語としてスタートしたこともあり、当然といえば当然ですが、もしJava AppletがFlashのような役割として勝ち残る戦略を目指していたら、どうなっていたのでしょうね? おそらく今のJavaとは全然別のものになっていたのかもしれません。その戦略を追っていった場合にはサーバ側はJavaではない環境で動くことになっていたのでしょう。

でもそうはならなかった。Java Appletでの失敗はJavaにとっては実は良かったのかもしれません。

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今日はブログは休み

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投稿日:2008年02月14日 作成者:yasunaka

時間が取れないので、今日はブログを休みます。

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守破離

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投稿日:2008年02月13日 作成者:yasunaka

何事にも先人の知恵をうまく生かすことは重要です。ただ、先人の知恵を本当に理解するのがたやすくない場合も多々あります。そんな場合には、先人のたどった軌跡と同じ軌跡をあえて辿ってみることも有効なのだと思います。そうすることで、深い理解が得られ、さらにその上の世界が開けてくるからです。単にうわべだけの理解では得られない世界です。

アジャイルの世界で一時「守破離」という言葉が有名になっていました。

「守」とは師匠の教えを正確に、忠実に守る、学びの段階。

「破」とは、それをさらに洗練させ、自分なりのものを創造する段階。

「離」とは、独自の道を確立する段階。

フレームワークやライブラリーを扱う場合、通常は先人(作った人達)の教えに従い、それを使います。これは「守」の段階です。それを使いこなしていくうちに、徐々にその足りない部分を自分で改良して使うようになってきます。これは「破」の段階ですね。そしてそういった経験を経て、見えてきた問題点などを解決するための全く新しい仕組みを新たに創造する、それが「離」の段階なのだと思います。

早く「離」の境地にたどり着きたいものですが、でも「守」や「破」を経て、本当の問題点を良く理解しないことには「離」はできないのだと思います。そういった意味ではあえて先人の軌跡を辿ってみるのも、遠回りのようでいて、実はその道を極めるための最短コースなのかもしれません。

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Consumer向けのIT産業のビジネスモデル

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投稿日:2008年02月12日 作成者:yasunaka

最近個人持ちのノートPCのセキュリティソフトを、広告の入る無料タイプのものに切り替えました。PCを起動すると、そのたびに広告が表示されるのですが、それ以外は普通のセキュリティソフトとして使用できるものです。セキュリティソフトとしての出来はそんなに悪くなく、使用感も上々です。

それまでは年額5,000円程度の金額を払ってセキュリティソフトを買っていたのですが、広告を見るという条件だけでそのコストを払わずに済む、というのはうれしい気がします。使い始めた頃に比べ、表示される広告の内容が増えているようにも思えます。ビジネスとしてはそれなりに順調に伸びているのかもしれません。

ただ、ふと、このビジネスモデルは本当に継続可能なのか?という疑問が沸いてきました。というのは、広告業は広告主がいて成り立つ商売です。もしいくつもの会社がおなじビジネスモデルで参入したとしたら、広告代金を払う側の広告主は増えないので、必然的に1社辺りの取り分は減ることになります。でももしこれが優れたビジネスモデルならば、皆が参入してくることでしょう。

これって、Consumer向けのIT産業のビジネスモデルのジレンマなのかもしれません。

最近の流れで、Consumer向けのITビジネスはいずれも広告モデルが主体となってきており、Consumerから直接お金を徴収するビジネスというのはあまり流行らなくなってきています。Consumerは当然安いほうがいいに決まっているので、自然にそちらに流れるのは理解できますが、全てがその方向の流れてしまうと、そもそもビジネスが成り立たなくなる場合が増えてしまうのではないでしょうか?

次の「新しい」ビジネス・モデルに期待、ということでしょうか?

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車輪の再発明

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投稿日:2008年02月07日 作成者:yasunaka

システムの世界では、既に存在するものを利用せずに、別途作ってしまうことを「車輪の再発明」と呼ぶことがあります。そんなの無駄だよね、という意味を込めて使います。過去の偉大なる発明をうまくりようすべきではないか、と。

確かに既にある機能を使ったほうがよいことが多いのは確かです。ですので、この言葉は良く肝に銘じておくべき言葉だと思います。しかし現実問題として、車輪の代わりにキャタピラが必要になるようなケースが多々あることが事態をややこしくします。

車輪を発明した時点ではそれでどこまでも行ける、と人々は思い込んでいるのですが、実際には舗装路しか走れないことにいずれ気づきます。ま、4WDにすれば悪路もへっちゃら、という話もありますが、さらに重いものを運ばなければならないとなると、いよいよ車輪では限界がきますよね。こうなると、ものを移動させるための方法としては車輪から離れなければならず、キャタピラが必要になってきます。

これは「車輪の再発明」ではなく、車輪では役に立たない場合に対する発明なので、意味があるのです。しかしこの見極めが非常に難しい。車輪を使いこなしている人であれば、「うーん、この目的であれば車輪でいけるけど、これ以上の場合には無理だな」ぐらいのことがすぐにわかりますが、普段車輪にあまり接していない人が同じような場面に遭遇した場合、簡単には判断が付きません。

おそらく「車輪の再発明」されるのは、こういう場合なのではないでしょうか? 結局のところ、「車輪の再発明」なのか、「キャタピラを創造したのか」はある程度後になって振り返ってみてから判明することがほとんどなのだと思います。

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株価

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投稿日:2008年01月24日 作成者:yasunaka

私は金融の世界からは足を洗ったつもりなのですが、株価はやっぱり気になります。年明けからの株式市場の展開には、非常にやきもきしていました。

株価はファンダメンタルズをベースにニュースや市況の需給などが加味されて決まるわけですが、どのタイミングでどの要素が株価に反映されるのかは神のみぞ知る、という感じで、好決算が続き、かつ今後も好決算が予想されそうな会社ですら、株価は下落続き、なんてことが現実におきえます。わからんもんです。

会社は業績を上げることができても、株価そのものを上げることはできません。業績が良ければ一般的には株価も上がることが多くなるのですが、必ずしもそうだとは言い切れないもどかしさがあります。

ワタミの渡邉美樹社長が本で、株式市場というのが直接民主主義を実現していると書いているのを読んで、「なるほど」と思ったのですが、実際の株式市場での株価の乱高下は、必ずしも「民意」の表れだけではなく、投機目的や心理的なパニックなど、いろいろな要因を含んだ結果なのだと思います。だから一時的に株価が下がったとしても、それは必ずしも「民意」の表れというわけではないのでしょう。

ただ、そうは言ってもCSR(Corporate Social Responsibility)の観点から株式市場での評価を重視する、というのは未来志向的な株式会社のあり方だと思います。マーケットがぜひそういった部分に重きを置いて評価をおこなうようになっていって欲しいものです。

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