車輪の再発明

投稿日:2008年02月07日 作成者:yasunaka

システムの世界では、既に存在するものを利用せずに、別途作ってしまうことを「車輪の再発明」と呼ぶことがあります。そんなの無駄だよね、という意味を込めて使います。過去の偉大なる発明をうまくりようすべきではないか、と。

確かに既にある機能を使ったほうがよいことが多いのは確かです。ですので、この言葉は良く肝に銘じておくべき言葉だと思います。しかし現実問題として、車輪の代わりにキャタピラが必要になるようなケースが多々あることが事態をややこしくします。

車輪を発明した時点ではそれでどこまでも行ける、と人々は思い込んでいるのですが、実際には舗装路しか走れないことにいずれ気づきます。ま、4WDにすれば悪路もへっちゃら、という話もありますが、さらに重いものを運ばなければならないとなると、いよいよ車輪では限界がきますよね。こうなると、ものを移動させるための方法としては車輪から離れなければならず、キャタピラが必要になってきます。

これは「車輪の再発明」ではなく、車輪では役に立たない場合に対する発明なので、意味があるのです。しかしこの見極めが非常に難しい。車輪を使いこなしている人であれば、「うーん、この目的であれば車輪でいけるけど、これ以上の場合には無理だな」ぐらいのことがすぐにわかりますが、普段車輪にあまり接していない人が同じような場面に遭遇した場合、簡単には判断が付きません。

おそらく「車輪の再発明」されるのは、こういう場合なのではないでしょうか? 結局のところ、「車輪の再発明」なのか、「キャタピラを創造したのか」はある程度後になって振り返ってみてから判明することがほとんどなのだと思います。