がんばれ、がんばれ

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投稿日:2010年07月31日 作成者:yasunaka

7月の日経新聞の「私の履歴書」は生物学者でノーベル化学賞を受賞された下村修さんでした。今日が最終日なのですが、この1カ月間、非常に興味を持って読みました。

月末の今日、最後の「私の履歴書」に、若い人たちへのメッセージを書かれています。昨年、討論会での若い参加者からの質問で、「研究で成果が出ず、行き詰った時はどうすればいいか」ということを問われた際、「がんばれ、がんばれ」と答えたと書いてありました。

ノーベル賞に至った成功は勿論幸運もあったり、巡り合わせがあったにせよ、その偶然を引き寄せたのは少しの失敗は気にせずに、あきらめずに努力をしたからだそうです。

逃げずに努力を積み重ねたことが、今の成功に至る秘訣だ、ということなのでしょう。だからこそ、若い人たちには、ただ「がんばれ、がんばれ」といいたいのだと。「私の履歴書」の締めに「物事を簡単にあきらめてはだめだ」という言葉を選んでいますが、とても重みを感じました。

私もまだまだ青二才の経営者のはしくれとして、この言葉を心に刻みたいと思います。

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アプリのコモディティ化

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投稿日:2010年07月18日 作成者:yasunaka

最近、テレビをつけているとiPhoneアプリをネタにしている番組がちょくちょくあります。テレビから「?できるアプリをゲット  :shock:」みたいな言葉が流れてくるのを聞くと、「アプリ」という言葉がそんなに市民権を得たのか?と感慨深いものがあります。

アプリとは、当然アプリケーション・ソフトの省略形なのですが、昔は「ソフト」って言っていたのに、なぜかiPhoneに関しては「アプリ」の方が通りが良いらしいです。ま、Appleが「アプリケーション」と言っているのを略して「アプリ」なので、ソフトと言わないのはその辺にあるのでしょう。

さて、今のiPhoneアプリを見ていて感じるのは、旧来のアプリケーション・ソフトと今の「アプリ」を比較した場合、主軸が機能からコンテンツに移っているということです。

つまり旧来のアプリケーション・ソフトでは、例えばワープロソフトのように文章を作るための機能が全てであって、中身の文章そのものは対象外でした。でも今の「アプリ」では、例えば文章を作るアプリの場合ならば「簡単に面白おかしい文章が作れます」みたいな、むしろその中身の文章そのものを売りにしているようなものが増えている気がします。

確かにアプリを求める人たちは、そのアプリを使って何かを一から作り上げるよりは、より手軽に、既に存在しているコンテンツをちょこちょこっとイジッてアレンジして楽しめる、という使い方の方が好むのかもしれません。

もともと発想の原点はWebで、Webだとコンテンツを提供するだけなので、そこでインタラクティブにいろいろと加工できる機能をつけたものが、今の「アプリ」の本質なのでしょう。

こうした今の「アプリ」では機能の違いはちょっとした付加価値的なものであって、コンテンツこそ命となります。コンテンツを機能とセットで売る、というのが今のアプリのビジネス・スタイルなのだ、といえるでしょう。

こうしたコンテンツをベースとしたアプリが大量に発生している現状を、私は「アプリのコモディティ化」と呼ぶことにしたいと思います。

さて、じゃあシステム屋は何を作って売るべきなのか? 旧来の機能だけを提供するようなシステム屋はどんどんニッチになってきています。コンテンツとセットになった総合的な仕組みを提供できないところは、今、急速に起こっているアプリのコモディティ化に耐えられなくなるかもしれません。

この考察は、いずれまた後日に。

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