IT業界の病根の深さ

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投稿日:2008年10月09日 作成者:yasunaka

最近@ITの自分戦略研究所で後藤和彦さんが書いているコラム下流から見たIT業界を興味深く読んでいます。コラムではプログラマという立ち位置からプロジェクトを見渡した時に見える数々の問題点を論じています。

上流工程担当者 v.s. 下流工程プログラマという構図も見え隠れしていて、上流工程担当者の人の中には読むと不快に思う人もいるかもしれませんが、違った立場・角度から物を見ることによって見えなかったことが見えてくる、という観点ではぜひとも読むべき内容だと思います。

このコラムで指摘していることとして、上流工程の設計に異常に時間がかかりすぎていないか? ということがあります。プログラマの立場から見て、何でこんなにつまらないことに無駄に時間をかけているのか、という指摘があります。後藤さんのコラムでは無能な設計者への怒りが伝わってきます。

実は私も以前、1ベンダーの立場としてあるプロジェクトに参加していた際に、同じようなことを感じた時がありました。決めるべきことが決まらず、内容のないレビューを繰り返し、無駄にスケジュールがどんどん後ろにずれていく。でも1ベンダーとして参画している中でできることは限られ、その時はとてももどかしさを感じました。

このように確かにプロジェクトにおいて上流設計がうまくいっていないケースは多々あるのですが、上流工程には『政治的な要因』が絡みやすく、担当者が有能・無能にかかわらず構造的に前に進めにくくなりやすいものです。だからなかなか仕様書が完了しないというのも、必ずしもその人の責任とは言い難いのです。

上流工程の仕事は、実は仕様書を書くということではなく、仕様書を書けるようにコンセンサスを作り上げるということです。仕様書は結果であって、そこに至る過程の検討内容が重要なんです。コンセンサスがとれていれば実は仕様書を書くという仕事はそんなに難しいものではありません。でも現実問題として、そのコンセンサスを取るのに時間がかかり、その結果上流工程の設計全体がずるずると時間がかかることになってしまいます。

でも世の中には単に仕様書を書くことが上流工程の仕事だと思っている人も多いですね。本来上流工程では何をしなければならないのかを、みんなが理解する必要があるのだと思います。

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モノリシックなクラウド?

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投稿日:2008年09月19日 作成者:yasunaka

マイクロソフトは、コンシューマー向け「Windows」を再構築するという記事がITMediaのニュースに載っています。図を見て思ったのですが、これってマイクロソフト版のコンシューマ向けクラウドのイメージですね。(クラウドの先のクライアント側しか描かれていませんが)

1つ感じた点は、マイクロソフトのクラウドはすべてマイクロソフト製品で固められたモノリシック(monolithic)構造だ、ということです。今回の発表ではそれら全部まとめてWindowsという名前で呼びますよ、としています。

そして、「Life Without Walls」(壁のない世界へ)というメッセージ。

ある閉鎖的な環境の場合にはこのモノリシックな構造は管理上都合が良いと思います。しかしコンシューマ向けのクラウドとしてモノリシックな構造を望む人がどのぐらいいるのでしょうか? 確かにマイクロソフトの場合、それを主張できるだけのバックグラウンドがあると思いますが、新しいクラウドの世界においてもマイクロソフトがPCの世界と同様のポジションになることを望む人(会社)はあまり多くないんじゃないか? と勝手な想像ですが、そう感じています。

そしてモノリシックさを強調すると、モノリシックなものとそうでないものの間に「Walls」ができてしまうのではないでしょうか?

そもそもクラウドの考え方の中では、その中の各デバイスが特定のOSなり、ミドルウェアなりに拘泥されない世界がイメージされていると思うのです。もちろんWindowsがその世界の中で重要なプレイヤーとしてある地位を占める、というのは当然の成り行きだと思いますが、クラウドの中ではWindowsも1つのプレイヤーに過ぎず、他の仕組みともWindows間のやり取りと同様にWebという仕組みでインターフェースできるんだよ、と伝えていくことが本来あるべき姿なのではないか、と感じました。

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広告宣伝の価格

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投稿日:2008年09月17日 作成者:yasunaka

ITProに元ライブドア社長のホリエモンの対談記事が載っています。いろいろ意見のあるところかもしれませんが、私は素直に視点がいいな、と思いました。

視点の良さを一番感じたのはテレビ局買収の話の部分で、次の下りです。

— 引用 —
僕のビジョンは非常に単純でした。テレビの画面にURLを流し続ける,ただそれだけでした。ネットにユーザーを集める純粋な広告媒体として,テレビ局が必要だったのです。
————

テレビ局買収の話についてはいろいろ言われていますが、上記の話は結構真理を突いていると感じます。テレビのユーザをネット側に連れてくるにはテレビ局ごと買収して、そこから誘導するのが一番手っ取り早いわけです。

以前テレビ局買収の話で盛り上がっていたときには、正直なところ、ライブドアはテレビのコンテンツが欲しいのだとばかり思っていました(でもそのコンテンツの2次利用にはご存知の通り、いろいろ面倒くさい問題があるわけです)。でも実はそれよりも重要なのは認知度というブランドであり、それを得るためにはテレビが最も適した媒体だ、ということであれば、テレビ局を買収しようとしたとしたのは筋の通った話だと思えます。

ビジネスというのは対象となる見込み客の認知を得て初めて成り立ちます。コンテンツ云々が問題になるのはその後の話であり、順番としてはまず認知してもらうことが大切なのだと思います。

純粋にブランドを得るための広告宣伝費と考えた場合、非常に割安な案件だったのかもしれません。

ちなみに、その時の資金提供元が昨日破たんしたリーマン・ブラザーズでした。手法としてはかなり大胆な(無茶苦茶な?)方法での買収だったのですが、もしそれが成功していたら、今のIT業界の地図はだいぶ変わっていたのかもしれません。

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リーマンブラザーズ破たん…

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投稿日:2008年09月16日 作成者:yasunaka

本当は今日はANAのシステムトラブルのニュースも気になっていたのですが、私自身がもともとは金融系SEの出身ということもあり、あまりにもこちらのインパクトが大きく感じられたので…

テレビのニュースで盛んに取り上げていますが、あのリーマンブラザーズが破たんというのは、非常に感慨深いものがあります。そして今後さらに大きな展開がありそうにですね。サブプライムローンに端を発する今のアメリカの状況は、ちょうどバブルに踊ってはじけて、それ以降10年間近い停滞の期間が続いた以前の日本と似て見えますよね。

この先どのような連鎖が起きるのか、非常に気になるところです。とりあえず今日の日経平均の下がり方は尋常ではない…

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ある種のクラウド化の進行

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投稿日:2008年09月12日 作成者:yasunaka

ITProの記事にNTTデータの松田氏が語る,「コンペ敗退で気付いた,企業ネットの“第3の目的”」というのが載っていました。内容は海外のデータセンターがあまりにも格安の値段で、コンペで負けてしまったというものでした。

唐突ですが、クラウドという話をするとあまり雲(クラウド)側のことは気にせずに、サービスレベルの話に気を取られがちです。その観点では気づきにくいのですが、実は上記の話のような形で、「企業レベルでのシステム利用のクラウド化」というのが実は進展しつつあるのではないかとしたら、見逃せない話ではないでしょうか?

つまり企業にとって、クラウドの先はどこでも良い、ということなのです。メンテナンスに問題がなく通信インフラが整ってさえいれば、別に海外でも構わないことになります。

ここでいうクラウド化というのは一般にクラウドという概念から比較すると、その一部分だけの話に聞こえるかもしれませんが、実は企業のシステムが標準的な基盤上で稼働可能なものにシフトしてきている現在、企業システムのクラウド化というのは非常に大きな意義をもつのではないかと思います。

データセンターやハードウェアなどの資源は保有するのではなく、借りるものだ、という意識は企業にとって徐々に一般的なものになってくると思います。例えSaaSのような共同利用型のシステムではなくて自社独自のシステムを使うにしても、利用する資源の組み合わせにおいて様々な選択肢が広がってきているように思えます。

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デジタルアーカイブビジネス

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投稿日:2008年09月09日 作成者:yasunaka

米Googleが新聞各社と提携して過去の新聞記事をデジタル化し、オンラインで検索可能にするという記事が出ていますね。これってGoogleはどのくらいの金額を各新聞社に払うのでしょうかね?

日経新聞などは自社で有料の過去記事のデータベースサービスをやっていますが、要はそういう商売は自社でちまちまやっている場合ではない、Googleが引き受けますよ、ということですよね。Googleとしては広告モデルで十分Payできるという算段なのでしょう。

今までのエンドユーザに個別に課金をするやり方では、なかなかユーザ数が増えないとか、金額があまり大きくなりにくいとかいった問題が想定されますが、これを広告モデルで運営するとなると、Googleみないなところがやればユーザ数が圧倒的に増えるし、かかるコストも抑えられます。

いやはや、Googleという会社は次々と面白いビジネスを考えつくものだと思います。

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音楽

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投稿日:2008年09月04日 作成者:yasunaka

まったくの雑談です。

私は基本ミーハーなので音楽は何でも聴きます。子供のころはクラッシック一辺倒だったのですが、徐々にチャイコフスキー→ドビュッシー→ストラビンキー→バルトーク→現代音楽と年齢が上がるにつれて好みの音楽も現代にシフトし、途中モダンジャズを経て今はもうヘビメタと演歌以外はなんでもOK、といった状況です。途中、高校時代にYMOが流行り、かつ坂本龍一さんが高校の先輩だったこともあり、テクノ音楽にはちょっと魅かれていました。

大学時代(20年前…)にはコンピュータにMIDIでシンセサイザーをつないで打ち込み音楽を作る、というのにはまっていた時期があります。コンピュータを使って作曲(打ちこみ)してシンセサイザーをつないで演奏させるのですが、全部自分でコントロールして作り上げることができるところが魅力でした。こういった打ち込み音楽にはやっぱりテクノやユーロビート、ハウスっぽいのが一番合っています。

最近、少し前にPerfumeというテクノポップグループを知って、年甲斐もなくちょっとはまっています。Perfumeにはまっている40代が結構いるという話をちょくちょく聞きますが、私なども彼女たちの音楽を聴いていると、未来志向的なのにもかかわらず、逆にちょっとレトロチックに感じるところがいいのです。

このPerfumeというグループ、結構前から活動していたようですが、売れてきたのはここ1年ぐらいなんだそうですね。やっていることが大きく変わっているわけではないようですが、売れる、売れないという境界線はほんのちょっとのところにあるようで、非常に不思議な気がします。数日前に書いた、「ビジネスのスレッシュ・ホールド」のいい例かもしれません。

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IT人材不足って本当?

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投稿日:2008年09月02日 作成者:yasunaka

@ITにCompTIA Breakaway Japan 2008 IT人材不足の要因は「産業構造」「育成環境」「育成機会」という記事が載っています。それによると、総務省の方の話として以下のようなことが書いてあります。

— 引用はじめ —
ICT人材の現状は「50万人ほど不足している。特に、高度ICT人材の不足数は約35万人」だという。高度ICT人材は技術系(プロジェクトマネージャ、上級システム設計・開発など)とマネジメント系(CIO、CTO、システム企画など)に分かれるとし、特にマネジメント系の不足が著しい
— 引用終わり —

経産省の平成18年特定サービス産業実態調査によると、ソフトウェア業務にかかわる従事者数は全部で52万人ということなので、上記のICT人材の話は、ざっくり、現状の倍増やす必要があるという話です。

これ、本当だとしたらまだ当分IT系産業における人材市場は超売り手市場ということになるのですが、何か実感がありません。実際SEやプログラマーの単価はこのところ下降気味のような気がしてなりません。(きちんと調べたわけではないですが)

1つ考えられることとして、憶測ですが、上記のICT人材の範囲には、ユーザ企業側のシステム担当者が入っているのに対し、ソフトウェア業務にかかわる従事者数にはその分が含まれていないのかもしれません。

いずれにせよ、「50万人ほど不足している」という話の算出根拠を知りたい、と思いました。

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会話の前提条件

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投稿日:2008年08月29日 作成者:yasunaka

ちょっと与太話です。

例えば「15:00に帰る」と言うことに対して、(A)「15:00迄に帰る」と捉える人と、(B)「だいたい15:00ぐらいに帰る」と捉える人がいると思います。時間があまりシビアでない場合にはどっちでも良いのですが、15:00という時間が重要な場合には、(A)「15:00迄に帰る」と捉えてほしいと思います。

しかし実行者(15:00に帰る人)はそんなことは考えません。できるだけ楽な(B)「だいたい15:00ぐらいに帰る」と捉えることも多いと思います。結果として、いろいろと問題が発生することになります。

さてこの問題、何が原因なのでしょうか? 「15:00に帰る」という表現が曖昧ということでしょうか? それとも気を利かせない実行者が悪いのでしょうか? または、勝手に15:00迄に帰ることを期待する側が間違っているのでしょうか?

おそらくこれと同じようなことが、プロジェクト内では何百回と繰り返されていて、その度に様々な問題やバグ、仕様間違いなどが発生しているのではないでしょうか?

このケースで重要なのは、コンテキスト(文脈)です。どのようなコンテキストで用いられた文章なのかによって、受取る意味が異なります。「15:00に帰る」という表現そのものは決して曖昧な表現ではないのですが、コンテキスト次第では様々な意味を持ちうる点が曖昧さを生み、情報の発信側と受け手側で同じコンテキストを共有していないと、場合によっては意味を取り違えて伝わる場合がある、ということです。

ところがコンテキストの共有が十分できていない場合というのが実際にはよくあります。「え、そういうことだったの?」というケースです。相手が同じコンテキストを共有していることをきちんと確認しないことには、あなたの言葉は違う意味で受け取られているかもしれません。

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戦略と戦術

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投稿日:2008年08月22日 作成者:yasunaka

昨日、あるITベンチャーの社長が出ているストリーミングを見ていたら戦略と戦術の違いに関する話が出ていました。ランチェスター経営に関する本とか読んでも、良く出てくる話題ですが、違うということがわかっても、ではどこまでが戦略で、どこから戦術なのか、という具体的な話になると、私自身、以前はよくわかりませんでした。

一般な話として、戦略を間違えていると、いくらがんばって戦術に長けても戦いには勝てない、ということがあります。でもそれだけではやはりどこまで戦略で、どこから戦術なのかはわかりませんね。

上記のストリーミングの中では戦略とは、考える対象の広さの違いを言っていました。つまり単に直接的な戦いだけを見るのではなく、その前提となる周りの要素(ロジスティックス、外交、その他もろもろ)を踏まえて考えることだ、ということだそうです。これは非常に分かりやすい説明だと思いました。目指すは「戦わずして勝つ」ことこそ王道なりと。

私なりに、さらに付け加えるならば、いろいろな観点で広く捉えた上で、「どの部分に自分の出せる力を集中させるか」というのが戦略じゃないかと理解しています。物事をできるだけ広く捉え、その上で逆に力を集中させるポイントを定めること。これが戦略の本質なのではないかと私は思っています。

誰でも自分に与えられたリソースには限りがあります。その限られたリソースを如何にして最大限有効活用するか、というのが戦略の重要の根源的な理由なのではないでしょうか?

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