メールは満足化原則を満たしているか?その2

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投稿日:2008年06月09日 作成者:yasunaka

前回の続きです。プロジェクト内でメールを使う問題点を聞いたところ、他にもこんなことを教えてもらいました。

(5) ドキュメントを添付して送るとき、パスワードをかけるのが面倒

(6) 単にドキュメントを送付するだけなのに、いちいち文面を書くのが面倒

(7) 添付サイズによっては送れない場合がある。

(8) サブジェクトの振り分けルールを作って運用するのだが、うまく機能しない

こうして見てみると、前回の(3)もそうですが、ドキュメントの添付に絡む問題が多いですね。プロジェクトでドキュメントを共有したい場合に、単にファイルサーバに置くという方法では共有できないケースがありますが、そのような場合には通常はメールでの送付で済ます場合が多いと思います。

さて、いろいろと問題があるプロジェクト内でのメールの使用ですが、果たしてメールに代わる別のソリューションがある場合、それにスイッチするものでしょうか? スイッチするのであれば、満足化原則を満たしていなかった、ということになります。

そしてそのスイッチする先がcrossnoteだと皆さんに認めてもらえるよう、がんばります。

タグ システム

メールは満足化原則を満たしているか?

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投稿日:2008年06月06日 作成者:yasunaka

一昨日、「最適化 vs 満足化」というテーマを書きましたが、今日はその続きです。今日はメールについて、この「最適化 vs 満足化」を考えてみたいと思います。

メールは今や誰でも使う、非常に基本的なインフラとなっています。そして普通にメールを使っている人にとっては十分便利であり、満足している人も多いと思います。なので、これより少し便利なものが別に現れたとしても、なかなか普及しないでしょう。

でも、プロジェクトなど、チーム・コラボレーションに話を絞った場合にはどうでしょうか? チーム・コラボレーションにおいても基本ツールとしてメールは欠かせないものですが、果たしてこのシチュエーションで使っている人たちは満足して使っているのでしょうか? ぜひ皆さんに意見を聞いてみたいのです。

私がチーム・コラボレーションにおいてメールを使っている際に感じる不満としては、こんなことがあります。

(1) 送り先を指定するのが面倒。間違えてひどい目に合うこともある(いや、あった)。

(2) 後になって、「あ、このときの議論、文書に反映されていないけど、メールでやり取りしてたな」というシチュエーションが良くあるが、探すにの骨が折れる。またこういった情報はチーム内で共有されることがない。

(3) メールに文書を添付すると様々なバージョンのドキュメントが散乱して、どれが最終版なのかがわからなくなりやすい。最悪なのは、その添付されたドキュメントを互いにやり取りし合うものだから、本当に訳が分からなくなる。

(4) 重要な質問などを送っても、相手が忙しくてほったらかしにされてしまった場合、そこでその仕事が止まってしまう。

他にはどんなことがあるでしょうか? ぜひ教えてください。

タグ システム

最適化 vs 満足化

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投稿日:2008年06月04日 作成者:yasunaka

今日の小飼 弾さんのブログ「The best is not good enough for us」に best を求めているのか、good enoughを求めているのか、といった論旨の話が載っています。

ちなみに人々は必ずしも最適なものを望むのではなく、満足できるレベルのものであればそれをチョイスしてしまう、というのはハーバート・サイモンという方が満足化原理として提唱したことです。人々は必ずしも最適なものを求めているのではなく、満足できるれべるのものを選んでおり、満足できる状態であればたとえ最適な別なものを紹介されてもなかなか乗り換えないものだ、ということになります。

小飼 弾さんのブログからは内容が離れてしまいますが、ビジネスの世界では、この観点のことにはよく出くわします。現状に困っているのでなければ、「良くなる」ものがあったとして、なかなか乗り換えてはくれないのです。

逆にいうと、何に困っているのかがはっきりして、それを提供できるのであれば話は簡単、簡単に乗り換えてもらえることになります。何に困っているのか? これをキャッチアップできるかできないかが、ビジネスにおいての成功の分かれ道なのだと思います。

タグ 雑談

変われない日本

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投稿日:2008年06月02日 作成者:yasunaka

今日の日経ITProの記者のつぶやき「学生とIT業界トップの公開対談で胸を衝かれたこと???IT産業を呪縛する“変われない日本” 」がおもしろかったというか、ああ、そうだな、と思いました。

変わらないことへの強い指向。これは日本の社会に今深く根付いているように思います。上記の記事では「私塾のすすめ――ここから創造が生まれる」(ちくま新書)という本から次のような内容を抜粋して紹介しています。


『時代の変化』への鈍感さ,これまでの慣習や価値観を信じる『迷いのなさ』,社会構造が大きく変化することへの想像力の欠如,『未来は創造し得る』という希望の対極にある現実前提の安定志向,昨日と今日と明日は同じだと決め付ける知的怠惰と無気力と諦め,若者に対する『出る杭は打つ』的な接し方

なんかここだけ読むと絶望的になりますね。でも確かに今日本の社会には変化しないことを指向する何かが根付いているように思います。ある意味で日本は一旦頂点を極め、それを過ぎてしまった、ということを経験しているために、没落していくのではないかという危機感から、自然に「変化しないこと」を指向しているのではないか、と私には思えます。

この記事の中で、「起業しよう,と呼びかけるIT産業のトップたち」と紹介していますが、でも今の日本には、米国式の起業ができるような受け皿がありません。日本のVCはStartupの企業にはほとんど出資することがないんです。この事実を理解しないまま、起業をあおるのは少し無責任ではないか?と思います。

もちろん、じゃあ米国式の起業をサポートできる受け皿を整備しよう、という建設的な意見は大賛成ですよ。  😀

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