GY

投稿日:2008年01月31日 作成者:yasunaka

# おととい、昨日とちょっとどたばたしていてブログが書けませんでした。

昨年はKY(空気が読めない)という言葉が流行りました。確かに空気が読めるというのは重要なことで、読めないよりは読めるほうが良いに決まっています。ですが、それだけ(空気が読めるヤツのほうが偉いんだ)になってしまうと、何か違うかな? と私は感じています。

空気を読むというのもいろいろなシチュエーションが考えられますが、人の顔色を伺う、という使い方で考えた場合、人の顔色ばかり伺っているようではだめですよね。日本は、やたらに人と同化したがる傾向が強い人が多いと思います。同化していると妙な安心感を得るのがその理由だと思うのですが、自分の主義・主張を言う、という部分を、その「空気を読め」という暗黙の了解が押し殺してしまっていたら、大きな損失なのではないでしょうか?

で、今日の本題はKYではなく、GYです。(前振りが長い) Gとは「行間が」、Yは「読めない」。

日本のシステムの仕様書などでは行間を読む、ということが古来行われてきました。仕様書にはすべての情報が明示されているわけではなく、システムを作る側が仕様書を読み解き、行と行の間に省略されているであろうことを嗅ぎ取る能力が求められました。

で、最近のオフショア開発ではどうも2つの傾向があるようです。

1.仕様書を書く側が行間を埋める方向

2.オフショアの受託側が行間を読み取れるように教育する方向

最初の、仕様書を書く側が行間を埋める方向というのは、国際スタンダードな方法に自分達のやり方を変える、という、通常のやり方です。面白いと思うのは、結構2のやり方を推進するケースも多い、ということです。GYなヤツは相手にしない、という方法です。

確かに教育は大変ですが、長期的に見ると2のやり方のほうが理にかなっていると思われます。システム開発においては様々なフィードバックが開発現場側からもたらされます。もし行間を読める教育をしていれば、そのようなフィードバックが得られる可能性が高まるからです。

ただ問題なのは、行間を読み取れるオフショアのSEは、そう多くはなく、かつ成長すると他に移ってしまう可能性がある、ということだと思います。1.と2.の両方をうまく使っていくやり方が必要なのかもしれません。