方法が明確なもの、明確でないものの価値

投稿日:2010年09月26日 作成者:yasunaka

今まさに見ているのですが、土曜日の夜はテレビ東京のJCDとTBSのCDTVをよく見ています。いろいろなジャンルの曲がごちゃ混ぜに聴けるので、いい刺激になっています。(もちろん好きなジャンル、嫌いなジャンルはありますよ)

それらの番組を視聴していて思うのは、曲だけを聴いていると、単にジャンルの好き嫌いを超えて、なぜそれが売れるのかが私には分からないものが多いな、ということです。(こんなことを書くと、「上から目線」なんて突っ込みを受けそうですが…)

当たり前のことなのでしょうが、曲が売れるというのは、曲の面白さ、良さだけでなく、プロモーションの良さとか、人気とか、それ以外の要素に左右される部分が多いということなのでしょう。

そもそも曲の良さなどというものは、非常に個人的尺度であり、一般化が難しいものです。より多くの人にいい曲だと認識してもらうためには良いプロモーションをして認知してもらわないことには始まりません。でも大量にプロモーションされている曲がすべていい曲かというと、当然そうとは言い切れません。

結局のところ、ビジネスとして成功するのは「成功の方程式」にのっとった、いわば売れる方法が明確になっていて、その路線上に乗っているもの、ということになってしまいます。いわゆる「売れ線」が売れるという、至極当たり前のことで、テレビの時間が占有されるのでしょう。

ビジネスとして音楽を捉えるとそれは当然のことかもしれませんが、よくよく考えてみると売り手側の論理に聴き手側が踊らされているだけのようにも思えます。そしてすぐに消費され、流行の終焉とともに忘れ去られてしまうというのがお決まりのパターンです。

それはそれで否定はしないのですが、そうではない、売るための方法が明確ではなく、たとえマス・プロモーションからは外れていてもいい曲を作り続けているようなクリエーター・アーティスト達は数多くいるはずです。彼らは現在価値こそは低いかもしれませんが、その将来価値にかけてみるような、そんな場があるといいな、なんてことを、番組を見ながらぼんやりと思いました。