生きたプロセス、死んだプロセス

投稿日:2007年07月23日 作成者:yasunaka

大手のSIerの場合、その会社独自の開発方法論を持っている場合が多いですが、実際の開発の現場ではどの程度利用されているものなのでしょうか? 一応、WBS(Work Breakdown Structure)はその開発方法論に沿ったものになっているし、各種の儀式(InspectionやCutover criteriaなど)はやっているものの、何かこう、しっくりきていないというか、「やらされている」だけで積極的に推し進めていないという場合もあるかもしれません。

もし、その「しっくりきていない感」があるのだとすると、おそらくそのプロセスで定義されていることが古臭くなっているとか、あまり役に立っていないとか、何らかの理由があるのだと思います。

標準化されたプロセスというのは、ある想定をおいた、いわば仮想のプロジェクトを対象に設定されたものです。実際のプロジェクトにそのようなプロセスをそのまま適用しようとしても、その想定と異なる部分があるのは当然のことといえます。ではそのような場合でも敢えてそのまま実施することに意味があるのでしょうか? 私はそのように、標準化されたプロセスを何の疑いもなくただ実施している場合、そのプロセスは「死んだプロセス」になっていると思うのです。

あるプロジェクトマネージャの人から聞いた話なのですが、その人のプロジェクトの場合、同じような開発を繰り返したことで、独自の開発プロセスが出来上がっていて、しかも毎回、前回の反省点を踏まえてその開発プロセスを見直し、改善してきている、と言っていました。つまり、ちょっとカッコいい言葉でいうと、反復可能でかつ継続的な改善が行われるプロセスということです。

そのプロジェクトマネージャは、今はプロジェクトが非常にうまく回っているので、自分がやることがなくなるのが欠点だ、と言っていました。

これこそが「生きたプロセス」ということではないでしょうか? 標準的なプロセスがあることは悪いことではないのですが、それに縛られるのではなく、より良いものへ常に改善していき、必要な場合にはそこから離れていくぐらいのことが必要なのだと思います。